地積測量図とは、法務局に備え付けられている土地の図面。
法務局で請求すれば公的図面として交付される図面なのだが、実はその作成された年代により新落成が全く違うのです。
しかし法務局はそんなことは全く説明せず、請求したら信頼性の高いものも低いものも区別せず、しれっと交付してくるのです。
今回はその地積測量図の信頼性とその変遷を解説します。
地積測量図とは?
こんにちは。ゆっくり調査士、解説をする魔理沙だぜ。
わんばんこ。ゆっくり調査士、解説を聴く霊夢だよ~ん!
ブログまで変なあいさつのつっこみをする下りは避けたいのぜ。
ところで魔理沙。
地積測量図ってなに?
地積測量図とは土地表題登記や分筆登記、地積更正登記を申請する際に申請人(または代理人)によって作成される土地の図面のことなのぜ。
法務局に行って申請すればだれでも写しの交付を受けることができるモノなのぜ。
あーね。
で、その地積測量図はすべての土地にもあるものなの?
いや、地積測量図は登記を申請するときに作成されるものだから、それらの登記をしていない土地には存在しない。
地積測量図がない土地は法務局に図面がないの?
いや、法14条地図なら一部の例外を除いてほぼ全部の土地についてあるとされている(国有地を除く)。
地積測量図は分筆や地積更正登記申請の際に作成されるものですから、法14条地図(または地図に準ずる図面)と違い、すべての土地にあるとは限りません。
作成時期により記載されている要素が違いますが、どの時代においても地積(土地の面積)を求積することに主眼が置かれています。
むしろ、古い時代においては重要な要素は土地の面積であり、その所在、筆界、隣接地関係は重視されていませんでした。
その理由はもともとの制度目的が税徴収だったからです。
公図の限界
法務局の地図を公図と呼ぶことがありますがこれは地図、地図に準ずる図面をまとめた呼び方です。単に地図と呼ぶと一般的な地図と混同されるので「法14条地図」と呼んで区別しています。
この呼び方は法改正で条文が変われば呼び名が変わります。
これまで何度か話してきているので軽く触れるのみにしますが、不動産登記の前身は地租改正です。
地租とは現在の固定資産税に当たるものです。
地租改正の時に地押丈量と言われる土地の測量が行われました。
その目的は土地の所有者から徴収する税額決定のためでした。
当時の図面は字限図・村限図と呼ばれる図面(現在の公図)に直接地積や所有者を書き込んでいました。
しかしそれらの図面もともとかなり精度が甘く、徴税逃れのために不正確に書かれてることも横行していました。
そんな地図を元に分合筆を繰り返すうちにあちこちつじつまが合わなくなってきました。
税の徴収から権利の保全へ
税金を取るだけなら土地の面積さえわかれば良いのですが、登記の役割が徴税だけでなく個人の権利保全も考えることになってくるとそうもいかなくなってきました。
というのも民法第177条で不動産の物権変動の対抗要件となっていることから、登記と現地の整合性がないと所有者が自分の所有権を主張できないからです。
そんなことでは登記の信頼性に関わるし、物権変動の対抗要件として役立たずになってしまいます。
地券・土地台帳制度から登記制度へ
地券と台帳の不整合
地租改正当時は所有者は地券(権利書に近い書面)を所持し、その地券に対応する台帳を役所に備え付けて管理していました。
地券には所有者が記載されていて、所有権移転をすると地券の裏書きを書き換えて役所に台帳書き換えを申請するものだったのですが、煩雑な手続き嫌がったり税金逃れのためなどで役所に届け出ない地券が多く発生しました。
公証制度の破綻
当時、これらの手続きは公証制度によってなされていました。
ただこの地券台帳は不動産ごとに綴られておらず、契約書の年代順につづり込んでいたので二重手続(抵当権の二重設定など)が多発し、信頼性が低下していきました。
税務署の発足
こういった中、信頼性が低下した地券制度は廃止になりました。
そして1889年(明22)新たに国税徴収法が制定。
土地台帳の管理、地租の徴税は市町村がするようになりました。
その後1896年(明29)に税務署が発足。
不動産登記法制定
税務署発足後は土地台帳の管理、地租の徴収は税務署が行うようになりました。
そして同年に制定された民法、その第177条を受けて1899年(明32)不動産登記法が制定されました。
実はこの不動産登記法制定前に新政府初の法律として1887年(明20)登記法が施行されていて、その時すでに登記簿は作成されていました。
その後の不動産登記法に基づく登記簿は、旧登記簿と土地台帳を基に作成されたのです。
土地台帳は徴税所轄の税務署が依然保有しました。
この台帳・登記簿の二重化状態が、現在でも不幸を山ほど起こしています。
地積測量図が規定される前
分筆申告図:1935年(昭10)8月~
1935年(昭10)、土地分筆を申請するときには測量図、地形図を添付する制度ができました。
これが専門家が申告図と呼ぶ図面です。
この申告図はこの時代なりにいろいろ書き方の様式が定められてましたが、現代レベルでは十分なものとはいえません。
地租廃止、固定資産税は地方税へ
戦後、農地改革(1946年(昭21))により大量の土地の買収、農地解放により所有権移転登記が行われた。
また1947年(昭22)地方税法により地租は国税から都道府県税となり、1949年(昭24)税制改革により地租廃止→固定資産税となったことで市町村役場に徴税事務が移管。
土地台帳・登記簿二重化状態:~1960年(昭35)3月
1950年(昭25)土地台帳法の一部改正により税務署の台帳事務が登記所に移管。
登記所が登記簿と台帳の両方を管理することになったにもかかわらず、どちらも並列したため登記事務、台帳事務の二重手続の必要があった。
この時、片方の手続きが抜け落ちて登記簿、台帳の不整合が多発した。
一つの物に2種類の帳簿があるだけでもめんどくさいのに、それが併存しちゃったんだね。
そうなのぜ。
おそらく移管以前から登記簿、台帳の不整合があったんだと思う。
管理するのは登記所だけになったんだから登記簿に一本化した方が良かったんだが、徴税事務が滞ることも問題だからそこは先送りしたんだと思う。
結局個人の権利の保全より徴税の方が優先されちゃったんだね。
う~ん…
そうとも言い切れない。
時代背景的に農地改革で不在地主の土地を買収したり、それを払下げたりする事務が大量にあったので、そんな中これらの統合作業はさらなる混乱が起きると考えたからだと思うのぜ。
あーね。
登記簿のバインダー化
当時の登記簿はページの差替えがやりにくい大福帳方式と呼ばれるものだったのぜ。
大福帳って大福もちの数を書き記したもの?
ちがう!
大福帳とは昔の会計帳簿のことで、紙を糸でつづったものだったんだ。
登記簿もその方式だったんだが、これは用紙を綴りかえるのにいちいち紐をほどかなけりゃならないめんどうなモノだったんだ。
あーね。
そりゃめんどくさいね。
それを1951年(昭26)に差替えの簡便なバインダー方式にしたのぜ。
これには一旦登記簿を全部バラバラにほどいてバインダーに綴り直す方法を採ったんだ。
これには10年かかった。
10年!
それは大変だったね。
地積測量図の変遷
地積測量図変遷年表
時代名称 | 年代 | 特徴 | 境界標表記 | 現地特定 | 引照点 | 復元性 |
土地台帳・登記簿二元時代 | ~昭和35(1960)年3月31日 | ・土地台帳事務が税務署から法務局へ(1950.7) ・土地台帳図面、申告図など規格・管理が不統一 ・縮尺、精度ともに不統一、低精度 | × | × | × | × |
地積測量図 黎明時代 | 昭和35(1960)年4月1日 ~昭和41(1966)年3月31日 | ・登記簿・台帳一元化 ・図面の存在がまちまち ・尺貫法 | × | × | × | × |
地積測量図 暗黒時代 | 昭和41(1966)年4月1日 ~昭和52(1977)年9月30日 | ・メートル法完全施行 ・添付義務化完了 ・三斜求積主流 ・机上分筆 ・低精度 | × | × | × | × |
地積測量図 古熟成時代 | 昭和52(1977)年10月1日 ~平成5(1993)年9月30日 | ・図面B4二つ折り化 ・境界標の表記規定 ・隣接地立会い・立会証明書 ・トータルステーション・CAD登場 ・精度向上・精度区分 | △ | × | ○ | ○ |
地積測量図 新熟成時代 | 平成5(1993)年10月1日 ~平成17(2005)年3月6日 | ・境界標の記載義務化 ・隣接地立会い強化・筆界確認書 ・トータルステーション・CAD・座標求積主流化 引照点の表示義務化:現地特定機能 | ○ | △ | ○ | ○ |
地積測量図 電子化時代 | 平成17(2005)年3月7日~ | ・世界測地系公共座標使用 ・現地特定機能強化 ・トータルステーション・CAD・座標求積 ・法務局の実地調査権強化 ・オンライン申請 | ○ | ○ | ○ | ○ |
地積測量図・黎明期:1960年(昭35)4月~1966年(昭41)3月
登記簿のバインダー化完了を待って1960年(昭35)、一元化と呼ばれる登記簿と台帳の統合が行われたんだ。
バインダー方式は登記簿と台帳を統合するための準備だったんだね。
そうなのぜ。
それに合わせて土地表題登記などの登記申請の際には地積測量図を添付することが規定されたんだが、全国一斉にはできなかったんだ。
なんで?
この時点では登記簿のバインダー化は完了したんだが、登記簿と台帳の一元化作業は済んでいないのぜ。
ああ、二重帳簿状態だったからダブってる記録なんかを取り除いたり、内容を付き合わせて整理しないといけないんだね。
そうなのぜ。
これが完了しないうちに新制度を導入してしまうと現場が混乱するからな。
結局一元化が完了して地積測量図添付・備付の体制が整うのは1966年(昭41)までかかってしまったのぜ。
当時はパソコンもなく、作業は全て人海戦術なので大変だったんだね。
地積測量図・暗黒時代:1966年(昭41)4月1日~1977年(昭52)9月
地積測量図の暗黒時代って…
一元化が完了しメートル法完全施行。
図面の体裁は現代風の地積測量図となったのぜ。
それは良いことなんじゃない?
そうとも限らない。
見た目はちゃんとしていてもその中身が問題だったんだ。
中身?
1950年代半ばからは戦後の高度成長による人口の都市流入が続いたんだ。
そのため住宅不足が深刻になりそれによる空前の開発ブームが起きたのぜ。
それによる乱開発で机上分筆や不正確な図面が大量発生したんだ。
机上分筆とは、現地の実測をせずに図面上で分筆図を作成し申請すること。
また、当時は造成後の現地検査もほとんど行われておらず、図面通りに現地が造成されているかも検査されないまま登記が完了してしまうことも少なくなかった。
そうなんだね。
ヘタに体裁だけは良いからな。
一般の人にはこのころの図面がいい加減なものだ、という印象を受けないんだ。
そうだよね。きれいな図面が現地測量してない、とか、適当なデータで作成されたなんて思わないよね。
土地家屋調査士が地積測量図を調査する際、登記申請日が昭和52年9月30日以前かどうかでその図面の信憑性を測ることがあるんだ。
当時は開発ブーム、土地ブームでした。
そして行政のチェックが甘いのをいいことに現地を測らずに図面を作成したり、その図面を基に分筆線を引いて申請する机上分筆などが横行しました。
また、そういった図面作成、申請手続では当然境界標の確認や境界の立会いなどは行われていませんでした。
地積測量図・古熟成時代:1977年(昭52)10月1日~1993年(平5)9月
こういった手続きが横行したため、様々な不都合が発生したため、
「これじゃマズい」ってことで、不動産登記法施行細則や手続準則を改正したんだ。
その改正でどんなことが決まったの?
主な変更点は次の通りだ。
- 地積測量図の様式改正:B4二つ折り、バインダー編綴
- 境界標の記載:境界特定機能強化
- 地積測量図閲覧の一般化
- コインコピーによる写し作成
それまでは地積測量図に境界標を記載していなかったんだね。
意外!
そうなのぜ。
この改正で境界標は原則設置して図面に表記するようになった。
また、境界標の立会い確認も行われるようになったんだ。
その証明として適宜立会証明書といった書面を添付するようにもなった。
立会証明書ってなに?
立会証明書とは境界確認に立ち会った事実を証明するための覚書きのような書面だ。
後の現れる筆界確認書の前身と考えてもらっていい。
ずさんな現地確認、登記手続きによる問題を解決するために、地積測量図の不動産登記法施行細則や不動産登記事務取扱手続準則の改正が行われた。
その中で地積測量図の境界特定能力の強化として、境界標の原則設置、地積測量図への境界標記載を規定した。
しかし、境界標が設置できなかった場合に代わる対処、表現を規定しておらず、土地の場所を特定する現地特定能力についてはまだ弱いものだった。
調査実務では平板測量からトランシット測量へと主流が移ったことにより精度が向上、図面に精度区分の概念が登場した。
地積測量図・新熟成時代:1993年(平5)10月~2005年(平17)3月6日
高度成長期、列島改造論、バブル経済の中でほんろうされてきた不動産登記もここに来てかなり熟成してきた。
そうなんだね。
ここではどんな改正がされてきたの?
今回の改正では次の点が変更された。
- 境界標設置の原則義務化
- 境界標記載の義務化
- 境界標を設置しない場合は引照点からの位置関係の記載を義務化
- 筆界確認書の添付
平成5年の改正では境界特定能力の強化、現地特定能力の強化が図られました。
また、立会証明書では不十分だった境界確認能力を強化するため、筆界確認書を事実上義務に近い形で添付を求めるようになりました。
しかし、添付書類とはしなかったため、なんとなく宙ぶらりんな書面にもかかわらず、現場では印鑑証明まで添付することが強く求められました。
当時の役所はかなり高圧的な窓口業務が行われており、法務局はその中でもワースト1,2を争う、とまで言われていたんです。
地積測量図・電子化時代:2005年(平17)3月7日~現在
不動産登記の関係者としては2005年(平17)3月7日は重要な日だ。
何があったの?
不動産登記法が106年ぶりに全面改正された年なんだ。
この改正により、
- 筆界の定義が明文化
- 筆界特定制度の創設(施行は翌年2006年)
- オンライン申請の標準化
などが行われたんだ。
地積測量図については変更はなかったの?
あるぞ。
- 座標求積の標準化
- 全筆求積の義務化
- 世界測地系公共座標の原則義務化
- 地積測量図のデジタルデータ化
この中でも私的には世界測地系座標の原則義務化が大きいと思っている。
これにより、かなり精密な境界復元が可能になったんだ。
そうなんだね。良いことだらけだね。
これによるネガティブはないの?
たしかに良いことばかりじゃない。
世界測地系公共座標を使用するには基準点測量をしなくちゃならない。
基準点測量とは公共基準点から現地までの測量をするわけだが、そのために作業量と作業期間の増大、それに伴う費用の増大を招いている。
ああ、やっぱりそうなっちゃうのね。
2005年(平17)3月7日に不動産登記法の全文改正が行われ、登記申請はオンラインで行うことが本則となった。
それに伴い、地積測量図は画像データTIFFファイル、若しくはXMLファイルで作成することが原則となった。
また、既出の地積測量図もスキャニングされ、電子ファイル化された。
これにより、インターネットによる地積測量図の提供が行えるようになったのです。
そして測量調査業務はトータルステーション、GNSS測量などの電子機器を使ったものが主流となり、CADシステムによる作図が事実上必須となった。
調査士報告方式による完全オンライン申請
2018年(平30)11月11日、不動産登記は本来オンライン申請に求められていた完全オンライン化が実現しました。
実は不動産登記によるオンライン申請は申請データのみがオンライン申請に対応していたものの、付属する添付書類が紙媒体であった場合、現物を登記所に持参、送付する必要があったのです。
これを「半ライン申請」とか「不完全オンライン申請」などと呼ばれていましたが、この改正を機に紙媒体をPDF化、電子署名することで完全オンライン化が実現しました。
ただし、現在はこの完全オンライン化が実現したのは土地家屋調査士が行う登記申請のみとなっています。
まとめ
明治時代~昭和初期
地租改正時は地券、台帳は主に徴税が目的でした。
所有者は言い換えれば納税義務者で、政府からすれば個人の権利保全は二の次だったのです。
しかし不動産が個人の財産として確立していくにつれ、様々な不都合が起きてきたため不動産登記法を制定。
現在の登記の基礎となりました。
その後、鉄道敷設や国の施設(役所や軍事施設など)建設のための土地買収などにも所有者、土地の所在、面積がわからないと不都合が多いことから、申告図面なども制定されました。
しかし制度的に徴税のためなのか?個人の権利保全のためなのか?が明確でなかったため、同じ不動産を別々の帳簿(登記簿と台帳)で管理するという二重帳簿状態(これがホントの二重行政の弊害)が起きました。
戦後~1960年
戦後、GHQの指導の下、農地改革による農地解放がありました。
また、戦争によって土地の所有者が戦死したり、疎開などによって所有者不明土地が大量に発生したため、それらの買収、払下げの手続きの中、登記簿・台帳一元化の準備として登記簿のバインダー化が行われました。
登記簿・台帳一元化
10年をかけたバインダー化が済んだ後は、帳簿・台帳一元化寺務が開始されましたが、もともと二重化の弊害は両帳簿の齟齬でしたから、この一元化作業に6年もかかり、一元化終了した登記所から順次地積測量図添付の登記事務が始まりました。
この時に「土地表示登記(現在の土地表題登記)」も始まりました。
昭和中期
昭和中期である1966年~1977年は開発ブームによる猛烈な宅地造成、住宅供給が行われました。
地方から都市部へ大量の労働力が流入したため、深刻な住宅不足が起きました。
そのため、当時の行政は巧遅拙速をモットーとし、正確な登記事務よりも速度が求められたため、ずさんな地積測量図が乱造されました。
昭和後期~平成初期~不登法全面改正
これじゃダメだということで、様々な方策が用いられ、正確性を強化してきました。
しかし早い時代の流れについて行けず法改正は後手後手となり、場当たり的な改正は一定の効果はあったものの、登記事務をいびつなものにしていきました。
不登法改正~現在
ついに不動産登記法は全文を改定する法改正を行いました。
実に106年ぶりのことです。
紙ベースだった申請書はオンラインによる電子データが本則となりました。
その間も様々な改正を行いながら、2018年11月11日、申請データをすべてデジタル化したファイルで完結する完全オンライン化を実現しました(調査士業務のみ)。
将来へ向けて
現在、法務省では現在の登記システムとは抜本的に違う登記システムを模索しています。
その中にはブロックチェーンを利用した登記記録の管理などもあります。
今後登記システムがどうなっていくのか?
楽しみでもあり、不安でもあり…
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